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                     春の曲  
吉沢検校作曲


   徳川末期、名古屋の吉沢検校は八橋の時代にさかのぼり、組歌に見られる品位を

   筝曲の世界に取り戻そうとして古今調子を創案。春の曲はその古今組の中の一つです。

   当時は手事がなく、明治20年頃京都の松坂春栄が手事を作曲しました。




   


   鶯の谷より出ずる声なくば 春来ることを誰か知らまし       (大江 千里)

   深山には松の雪だに消えなくに 都は野辺の若菜摘みけり   (読人知らず

   世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし    (在原 業平)

   駒なべていざ見にゆかん古里は 雪とのみこそ花は散るらめ  (読人知らず)

   我宿に咲ける藤浪立ちかへり すぎがてにのみ人の見るらん  (凡河内躬恒)

   こえ絶えず啼けや鶯ひととせに再びとだに来べき春かは     (藤原 興風)



   

   谷から鶯の声が聞こえてこないとしたら、春が来ると誰が知る事が出来ようか

   山中では松の雪さえも消えないのに都では早くも野辺の若菜を摘んでいることよ

   この世に桜というものがなかったなら、春の心はのどかであっただろうになあ

   馬を並べ連れたって、さあ花見に行こうよ、旧都では花はひたすら雪のように

   散っているだろう

   我が家に咲いた藤の花は波立っているようだ、それを立ち帰って見ているのは、

   あまりの美しさに通り過ぎる事が出来ないからであろう

   途中で鳴きやまないで、鳴けよ鶯よ、一年に二度と春の季節が来るもので

   あろうか来るものでないから


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