七小町  光崎検校作曲(三 絃)   船坂三枝作歌

                       八重崎検校  (箏編曲)



   
六歌仙の一人小野小町を歌ったもので歌謡からとられています。

   八重崎検校は京都の人で三味線作曲を箏に移し、

   替手式に作曲した 京もの合奏の大成者です。


   

   蒔かなくに 何を種とて浮き草の 浪の畝々生い茂るらん

   草紙洗ひも名にしおふ その深草の水の少将が 百夜通ひもことわりや 

   日の本ならば照りもせめ さりとては又天が下とは 下ゆく水も逢阪の

   
(二上がり)

   庵へ心関寺の うちもそとはも袖褄を 引く手数多の昔は小町

   今は恥し市原の 古跡はきよき清水の 大悲の誓ひかがやきて

   
(手事

   曇りなき世や 雲の上は 在りし昔にかはらねど 見し玉簾の 

                       うちや床しき うちぞゆかしき


   

   
まかなくに なにをたねとて うきくさの なみのうねうね おいしげるらん

   そおしあらいも なにしおう そのふかくさの しょうしょうが ももよかよいも ことわりや

   ひのもとなれば てりもせめ さりとてはまた あめがしたとは したゆくみずも あうさかの

   (二上がり)

   いおりへこころ せきでらの うちもそとばも そでつまを ひくてあまたの むかしはこまち

   いまははずかし いちはらの こせきはきよき きよみずの だいひのちかい かがやきて

   (手事 三下がり)
   
   くもりなきよや くものうえは ありしむかしにかわらねど みしたまだれの 

                             うちやゆかしき うちぞゆかしき


   

   まかないのに何を種として浮き草は畑の畝のように盛り上がった波に生えて茂るのだろうと

   謡曲草子洗でうたった草の名のついた深草の少将が百夜も小町のもとに通ったのも道理である。

   日の本といえば文字の通り、日光が照りもするだろう。それはそうとして 天の下といえば

   その下を流れていく水の逢うという逢阪の庵へ心がせかれて行く関寺の、

   内や外にある卒都婆(供養のために墓の後ろに立てる板)に 小町が腰を下ろせば、

   その袖褄を引く手がたくさんあった昔であった。然し今は老い衰えて恥ずかしく 市原の里にこもり

   古跡も清い清水寺の観音の御利益は、輝いて雲のない世に殿上に仕えていた昔と変わらないが

   以前見た御殿のみす(すだれ)が懐かしく思われる。


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